ギターに関する話
<レスポール・アーティザンについて>
<AP スティーブ・ベイリー・モデルについて>
<リイシュー・モデルについて>
<ビンテージ・ギター購入について>
<アコースティック・ギターについて>
<ドレッドノートについて>
<ドレッドノートについて 続き>
<レスポール 58ヴィンテージと59ヴィンテージについて>



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<レスポール・アーティザンについて>
tnodaさんも数年前にレスポール・アーティザンが6万円で売っているのを見て購入するか迷ったそうですが、他に3ピックアップのカスタムを所有しているため諦めたそうです。
どうもお店(渋谷のI楽器)や状況(バーゲンの日)からすると、同じアーティザンをその後で私が購入したようです。
確かその日は仕事だったので、お店に行ったのは夜になってからだったはず、とすると同じように購入を迷った人もいるかもしれませんね。



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<AP スティーブ・ベイリー・モデルについて>
最近は、ギターを購入するときは、メーカー名やモデルというよりも、そのギターの持つ雰囲気を優先させる事が多いので、ほとんど衝動買いです。
(色々ギターを見てくると良いギターって、独特な雰囲気があることに気づきます)
そんな中には、運命的ともいうべき出会いもあります。
例えば、お店でピンときたのだけど、売約済みになっていてしぶしぶ諦めた物が、しばらく後に他の店で売りにでていたり・・・なんとなく、楽器が私のところに来たがっているのでは?なんて思ったりして・・・おそらく前の持ち主とは相性が悪かったのでしょう。
このスティーブ・ベイリー・モデルについても、ちょっと運命的なものがありました。
ある日、急に多弦ベースが欲しくなってお店に行ったら、中古で売っていたのですが、普段は外国製品(それも古い物)に目がいくのに、なぜかこれが気になり、6弦ベースとしては値段も安すかったので購入しました。
そんなわけで、購入するときにはスティーブ・ベイリーのシグネイチャーということも知りませんでした。
後で判ったのですが、現行のスティーブ・ベイリー・モデルはフレットレスなのですが、これはフレット有りでピエゾピックアップやMIDIインターフェースも付いています。
製造期間が短かったのかと思い、昔の雑誌やカタログで調べてみても載っていませんでした。
その後も、色々と調べてみたところ、スティーブ・ベイリー・モデルはアリア・カスタム・ショップ製ということですが、実際の製作はT’Sギターが行っているらしい事が判りました。
なんと、このT’Sギターとは、あるウクレレ関係の掲示板でお世話になっているしんじさんの工房なのです。
さっそくメールで問い合わせたところ、3年前に工房の火事で資料が焼けてしまって詳しいことは判らないけど、しんじさんの記憶では、間違えなく特注で製作した記憶があるということ。
特注ということもあるのでしょうが、木部の加工等も非常に素晴らしい出来映えなので(だからお店でも目をひいた)しんじさんの腕前を認識させられました。



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<リイシュー・モデルについて>
mutumuさん等何人かの方から、リイシュー・モデルについて聞かれました。
私の好みから言うとリイシュー・モデルって好きでありません。
リイシューというのは、オリジナルに似せることを目的にして作られているので、ギター本来の目的で作られる物とは微妙に違う気がします。
結局、同じメーカーが作っているコピーなんですよね。
本物が持つオリジナリティは感じられません。
そんな訳で、私としてはリイシューを買うのなら、安い不人気モデルの本物を買った方が良いと思っています。
とはいえ、楽器のクオリティは結構良いし、使い易いので、道具として割り切って使うのには良いと思います。

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<ビンテージ・ギター購入について>
hidehiroさん他、非常に多くの方の質問があるので、ビンテージ・ギターの購入について私なりの考え方を紹介します。
ただし、あくまでも私なりの考え方なので、世の中には違う考え方の人も多いので、参考になるかわかりません。

まず、ビンテージは取り扱いが難しいのでは?ということについて
確かにビンテージはデリケートです。
でも、ちゃんと作られたギターなら、よっぽどひどい扱いをしないかぎりダメになりません。
なんといっても、長い年月生き抜いてきたギターです。
普通の使い方をしていれば大丈夫です。
そんな事は気にせず、気にいったギターは購入しましょう。

状態及びリフィニッシュ、改造等について
基本的に楽器としての性能が良ければ良いと思います。
目茶苦茶弾きこまれて、傷だらけの物の方が良い音がする場合が多いです。
リフィニッシュはオリジナルより悪い塗料で、傷等を隠すため厚く塗られている場合が多いので、大抵の場合音が悪くなります。
改造やパーツ交換によって、確かにオリジナルと音が変わりますが、その音が良ければ問題はないと思います。
コレクションとして考えれば、確かにオリジナルで状態の良い物が良いでしょうが、楽器として考えると音が良い方が良いと思います。
というわけで、購入者の目的によってだと思います・・・ちなみに、私は音重視、弾きこまれてボロボロのギターが好みです。

次に通販について
最近は海外から通販で購入する方も増えているようですが、私はやっていません。
最初の頃は、アレを買うぞ!と決めて楽器屋に購入に行っていましたが、そのうちに衝動買いした物の方が良い事に気づきました。
コレって相性なんでしょうかねぇ?人によっては、楽器屋でギターが呼んでいたと表現する人もいますけど。
とにかく、買うつもりなんて無かったのに、楽器屋で一目ぼれしたようなギターが当たりの可能性が高いです。
反対に、昔から欲しかったギターが安く売っているのを見つけても、なんとなく気乗りせず、その後しばらくしてその店に行って、まだ売っているのを見つけて、でもやっぱり購入する気にならない・・というふうに相性の合わないギターもあります。
だから、ギターって相性だと思いますから、見て手に取ってみないと、買う気にはならないので、通販に興味はありません。
もし、皆さんがアメリカから安く通販で購入したいと思っていて、日本語が通じた方が安心だと感じているなら、以前に藤沢市でHarvey's Guitarsをやっていて、現在ジョージア州でHarvey's Guitars USAを経営している、ハービー マーティンさんを頼るのが良いかもしれません。
メールアドレスはharveysguitars@mindspring.comです。
なお、ハービー マーティンさんからはメールを頂いただけで、何の関係もありません。

最後に楽器屋さんでのチェックについて
これも相性なんですが、まず手にとって、しっくりくるかを確かめます。
後はフレットやネックの反り等、後で調整して直せる範囲か?を調べます。
音については、家で自分用に調整するとまるっきり変わってしまうので(特にエレキはアンプによっても異なるので)、参考程度です。
まるっきりしょうも無い音だったら購入しないと思いますが、店頭に並んでいるのを見てピンときたギターは、どういう訳か弾いてみると全部良い音がするようです。

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<アコースティック・ギターについて>
ハルさんからハカランダに関する意見を頂きました。
確かにハカランダはギター用の材質として素晴らしい特性を持っていると思います。
でも、ハルさんのご指摘のとおり、最近のハカランダの品質は良くありません。
高価なのに、昔だったら絶対使わずに捨てていたような物ばかりです。
もっとも、ハカランダ、インディアン・ローズウッド、マホガニー、メイプル etc. それぞれに音質の違いがあります。
ハカランダの音が好きならば、高いお金を払うしかないと思います。
私の場合、材質も少しは気になりますが、トータルのギターの音の方が重要だと思っています。
材質に限らず構造や音質等においても、オールド・マーチン神話というような物があると思います。

私は、1968年製と1970年製のマーチンD-28を所有しています。
もちろん、1968年製はハカランダ、1970年製はインディアン・ローズウッドです。
両者はかなり似たサウンドで、並べて弾き比べれば1968年製の方が明るい感じですが、個別に弾いたのでは違いを判別するのは難しいと思います。
ちなみに、1968年製は柾目のハカランダなので見た目的にも似ていて・・・知人に見せても間違える事が多いですね。
(購入金額は倍以上の差があるのですが・・・)
左が1968年製D-28、右が1970年製D-28です。


偉そうな事を書きましたが、私の場合、どちらかというとエレキが主体なのでアコースティックは今ひとつ詳しくなく、大してお金もかけていません。
基本的にはフィンガーピッキング用はオールドの小型ギター、コードストローク用は70年代のドレッドノートです。
戦前はアコースティックギターでソロを弾く人が多かったので、素晴らしい小型ギターが多くあります。
戦後になると、アコースティックギターは伴奏、ソロはエレキというパターンが多くなります。
それに伴ってドレッドノート主流になり、強いコードストロークに耐えるよう頑丈な作りになっているようです。



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<ドレッドノートについて>
かなり前に初心者のshinさんからドレッドノートって何?とメールをいただいきました。
そのときは通説通り

Ditson社のハリー・L・ハント氏がマーチンの工場を訪れたとき、ジョン・ダイクマンというチーフエンジニアが試作した大きなギターを気に入り「まるでドレッドノートのようだ」と言ったことが名前の由来です。
ドレッドノートとは当時イギリスが建造した戦艦の名前で、それまでの常識を超える巨大さで世間を驚かせたそうで、以降ドレッドノートという言葉は巨大さを意味するようになり、日本でも「弩級」「超弩級」という言葉が生まれたそうです。

と返事をしたのですが、最近D−18を購入したので関連した資料を読んでみたのですが通説と違っていることが判明しました。
1912年にリヨン&ヒーリィ(ウォシュバーン)社がジャンボ・サイズのギターを発表します。
(Lakesideというモデルでスタンダード・サイズとジャンボ・サイズがあった)
これが評判になり1916年にDitson社がマーチン社にジャンボサイズのギターの製造を依頼しDitson111、Ditson222、Ditson333が作られます。
(実際にはDitson333はアナウンスされただけで製造されなかったようです)
これも好評で、1931年にマーチン社は自社のラインナップにもD−1、D−2を加え、後にD−18、D−28となり大ヒットになります。
このためマーチン社はジャンボ・サイズの事を何故かドレッドノート・サイズと呼んでいたので、現在はドレッドノート・サイズが一般名称になってしまっています。
何故、マーチン社はドレッドノートと呼んだのかについて推測すると、当時リヨン&ヒーリィ社とライバル関係にあったので真似したと言われたくなかったので 名前を変えた、モデル名のDは本当はDitsonの頭文字だったがつじつま合わせのためにドレッドノートのDですよという事になった。といったところで しょうか?
ちなみにギブソン社は1934年にリヨン&ヒーリィ社にならって、その名もJumboというジャンボ・サイズを発表しています。
その後もJ−35、J−55等のジャンボサイズを発表、ジャンボサイズより大きいのはSJ−200のようにスーパージャンボ・サイズとしていましたが、戦 後、マーチンのドレッドノート・サイズという名称が一般化すると、ジャンボ・サイズをドレッドノート、スーパージャンボ・サイズをジャンボサイズと呼ぶよ うになります。(ああ、紛らわしい)
因果は巡って、現在ではマーチン社でもこの元スパージャンボ・サイズのギターを製造し、(嫌っていた?)ジャンボサイズの名称を使っています。
ここいらへんは昔の各メーカーのやりとり、思惑が感じられてとても興味深いですね。
ウクレレでも、リヨン&ヒーリィ社がハワイ製のコピーをスタンダード・サイズと言って売り出すと、マーチン社が一周り大きいサイズをスタンダード・サイズ として売り出し、リヨン&ヒーリィ社がさらに一周り大きいサイズのコンサート・サイズを売り出すと、マーチン社もさらに一周り大きいサイズのコンサート・ サイズを売り出し、リヨン&ヒーリィ社がさらに一周り大きいサイズのテナー・サイズを売り出すと、マーチン社がさらに一周り大きいサイズのテナー・サイズ を売り出すなんて事をやっています。
これも、現在はマーチンが標準になっていますが、勝てば官軍といったところでしょうか?・・・このライバル心むきだしは、現在のマーチン社のイメージには合わない気もします。

<参考>ボディサイズ比較(単位:インチ)
長さ上部幅下部幅深さ
リヨン&ヒーリィ ジャンボ20 1/21216 1/45 1/4
ギブソン ジャンボ20 1/411 1/2164 5/8
マーチン 12フレットD20 15/1611 1/215 5/84 3/4


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<ドレッドノートについて 続き>

河邊さんから、Martinはウクレレブームが終わった事により、前から要望の高かったOOOよりでかいギターの販売を開始した。というお話を聞きました。
ドレッドノート(ジャンボ)サイズの本家リヨン&ヒーリィ(ウォシュバーン)が1928年に廃業した原因の一つがウクレレブーム(1925〜26年がピーク)が去ったためと言われているので、ありえそうな話だと思います。
(他の原因として、工場の火事、創業者の一人Healy氏が1925年に死んだため等があげられています)
マーチンにとってはライバルが無くなり、ウクレレを製作していた労働力をどうにかしなければならなかったので、ライバルの商品をパクッたということでしょうか。
マーチンのギターの年間生産量が数百本の時に、ウクレレは1万4千本だったという事からも、当時ウクレレブームがいかにすさまじかったが判ります。

それから、大袈裟に言う人もいますが、ディトソンからの依頼で作ったドレッドノートは、1916〜1921年の6年間に111と222(いづれもマホガニーボディ)が7本づつの計14本だけです。
今の感覚でいうと、話題の(リヨン&ヒーリィのビッグサイズ)モデルをショップ(ディトソン)オーダーで製作しました。といった感じですね。
(記録によれば、その後マーチンが自社のラインナップにドレッドノートを加える前に19本のディトソン111を作っています)
当時のギターの生産量をみると、トップのリヨン&ヒーリィの公称10万本(これは大袈裟な数字で、グルーン氏によれば実際には1万本程度)に対してマーチンは約四百本(個人工房に毛の生えた程度)、足元にも及ばないという感じなので、こんな屈辱を味わされていたのですね。
ディトソン自体、リヨン&ヒーリィのメイン・ディーラーというか、リヨン&ヒーリィをシカゴに呼び寄せ全米一のメーカーに育てあげたのがディトソンなので、マーチンについては大して重要視していなかったと思われます。(マーチンにとっては一番の取引先でしたが・・)

話は変わって、廃業したリヨン&ヒーリィに代わってウォシュバーン・ブランドを取得したトンク・ブラザースの時代、1934年にウォシュバーンのラインナップに再びドレッドノート(ジャンボ)サイズのSOLOモデルが登場します。
実は、このSOLOモデルの製作をしていたのがギブソンなのですが、ギブソン初のドレッドノート(ジャンボ)サイズ・モデルJUMBOが登場するのも同じ1934年なのです。
ひょっとするとギブソンは、トンク・ブラザースの依頼でマーチンで話題になったドレッドノート(ジャンボ)サイズを作るようになったのかもしれませんね。
なんとなく、因果は巡るというか、歴史は繰り返すというか、興味深いところですね。

追記
厳密にいうと1929年登場のハワイアン用HGシリーズがギブソン初のドレッドノート(ジャンボ)サイズです。・・リヨン&ヒーリィ廃業の翌年というのがなんともエグイ!
(つまり、ギブソンはマーチンより先に自社のラインナップにドレッドノートサイズを加えていたことになる)
ちなみにこのHGシリーズは14フレットジョイントでした。
また、ギブソンのアーチトップのL5は1923年発表で14フレットジョイントだし、スクロールボディで有名なSTYLE-O ARTISTは1908年発表で15フレットジョイントでした。
マーチン伝説では、バンジョー奏者のベリィ・ベクテルの要望を取り入れ14フレットのOMを1929年後半に開発し、これが世間に広まった事になっていますが、ギブソン等の追従をしたというのが真相みたいですね。

さらに余談ですが、厳密にいうとギブソン初のジャンボ(スーパージャンボ)モデルはSJ−200ではなく、1930年に作られたDobble-wall customでした。
SJ−200自体も、1937年末にレイ・ホイットリーのために作られたというのが通説ですが、1936〜37年の物(ラベルはL-5special)も数本存在しています。
なんか(ディトソン・ドレッドノートのように)陽の目を見なかったモデルを引き合いにだすと、後から後から新事実が出てきて、通説がひっくり返ってしまいますね。
それにしても、当時のメーカーは色々試行錯誤していたのが判ります。


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<レスポール 58ヴィンテージと59ヴィンテージについて>
-nakamura-さんがお持ちのシリアルナンバーがLから始まるレオズ・ヴィンテージ(カラマズー製初期型)は、当時58ヴィンテージとして売られていたそうです。
58ヴィンテージは1982年当時には、単にレスポール”ヴィンテージ”(あるいはレスポール”ナイストップ”)と呼ばれていました。
色々と調べてみると、私の所有しているカラマズー製でヘッド裏のシリアル無しのタイプ以外にも、カスタムショップ(ナッシュビル)製のシリアルナンバーがNから始まる物も”ヴィンテージ”と呼ばれていたようです。
このことから、日本ギブソンにより1982年に輸入されたされたレスポール80以外のリイシュー・タイプは一括りにされて”ヴィンテージ”と呼ばれていたと思われます。
(同時期にはギター・トレーダーやstandard'82等、幾つかのリイシュー物があったので、他のタイプも存在する可能性があります)
おそらく、日本ギブソンがオーダーした”ヴィンテージ”が好評だったため、急遽、他のリイシュー・タイプも輸入したのでしょう。
発売当時の1982年5月の雑誌広告に載っている”ヴィンテージ”は、ロゴやネック・ジョイント位置等から、レオズ以外のカラマズー製だと判ります。
あるいは、Nが日本ギブソンの頭文字だとすると、シリアルナンバーがNから始まるタイプが、本来の日本ギブソンがオーダーした物かもしれません。
また、レオズ・ミュージックによると、レオズ・ヴィンテージはヒカリ・トレーディングとオカダ・インターナショナルを通して日本で販売したそうですが、日本ギブソンのシールが貼られた物も存在します。。
1982年当時、これらレスポール”ヴィンテージ”は定価58万円で販売されていました。
翌1983年に、日本ギブソンのオーダーによる59ヴィンテージが定価59万円で発売されると、区別するために58ヴィンテージと呼ばれるようになったようです。
(なお、スタンダードは39万8千円、カスタムは42万8千円、30thアニバーサーリーが49万円、コリナーのフライングVとエクスプローラーは46万8千円でモダーンが49万円でした)
また、59ヴィンテージは発売当時にはオールドと同じオープン・ロゴでヘッド裏に9から始まるシリアルナンバーがスタンプされた事を謳い文句にしていました。
しかし、こちらも需要が多いため、日本ギブソンは同じ1983年から製造が始まったレスポール・リイシュー(シリアルナンバーは製造年の下1桁から始まる)を輸入して59ヴィンテージとして販売したそうです。
そのため、3(あるいは4)から始まるシリアルナンバーで59ヴィンテージと呼ばれた物も存在します。
なお、1985年に59ヴィンテージの販売が終了すると、レスポール・リイシューが定価44万円で販売されます。
また、本来の59ヴィンテージはエボニー指板となっているのが特徴ですが、某ムック本には58ヴィンテージがエボニー指板と間違って書かれてしまいました。
このため、最近ではポットDATEが1982年の59ヴィンテージを58ヴィンテージと勘違いして売るお店も存在しています。
さらに、1989年製のリイシューは9から始まるシリアルナンバーなので、ローズ指板の59ヴィンテージとして売るお店もあります。
(ひどいのになると、ポットを1982年製に交換しているのもあるので注意が必要です)
ちなみに、59ヴィンテージは小さいフォントのシリアルナンバーで、1989年製のシリアルナンバーは普通のフォント(稀に小さいフォントがある)です。
なお、1989年頃のリイシューにはクローズド・ロゴも多く見かけますし、オープン・ロゴでもiのドットが無い物が多いですが、これは、59ヴィンテージにも稀に存在します。
58ヴィンテージと59ヴィンテージの詳細比較


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